決めない、という決定 — 先延ばしと初期設定
TL;DR
- 「決めない」ことも一つの決定であり、多くの場合は現状維持という初期設定に従っている。
- サミュエルソンとゼックハウザーは、人が変化より現状を選びやすい「現状維持バイアス」を実験で示した。
- ジョンソンとゴールドスタインの研究では、臓器提供の意思表示が初期設定の違いで大きく変わった。
- 一方で、初期設定の力は強いがゆえに、誰がどんな目的で設定するのかという責任の問題を伴う。
決定とは、何かを選び取る能動的な行為だと思われている。だが実際の生活で最も頻繁に下されている決定は、おそらく「何もしない」という形をとっている。契約を更新し続ける、設定をそのままにする、誘いに返事を保留する。これらは決断の不在のように見えて、現状を選び続けるという、れっきとした選択である。
決めないことが決定であるなら、その背後には必ず初期設定がある。放っておいたときに何が起きるか――その既定値こそが、私たちの行動を静かに方向づけている。
変えないことを選ぶ脳
経済学者のウィリアム・サミュエルソンとリチャード・ゼックハウザーは、人が変化よりも現状を選びやすい傾向を一連の実験で確かめ、これを「現状維持バイアス」と名づけた。仮想の資産配分を尋ねる課題で、すでに保有しているとされた選択肢は、内容が同じでも選ばれやすかった。手元にあるものを手放す損失は、新たに得る利益より重く感じられる。プロスペクト理論が示した損失回避の感覚が、ここでも働いている。
変えるには理由が要るが、変えないことには理由が要らない。この非対称性が、現状を既定の答えにしてしまう。
初期設定が書き換える結果
初期設定の力をはっきり示したのが、エリック・ジョンソンとダニエル・ゴールドスタインによる臓器提供の研究だ。意思表示の制度が、参加を初期設定とする国(希望しない人が手続きする)と、不参加を初期設定とする国(希望する人が手続きする)とで、提供への同意率が大きく隔たっていた。人々の価値観そのものが国境で変わったとは考えにくい。違いを生んだのは、手続きをしなかったときに何が起きるか、という既定値の設計だった。
リチャード・セイラーとキャス・サンスティーンは『実践 行動経済学(Nudge)』で、こうした初期設定の設計を、強制せずに行動を後押しする手立てとして論じた。人は既定値を、暗黙の推奨として受け取る。設定する側が意図せずとも、初期設定は助言のように機能してしまう。
既定値は中立ではない
もっとも、初期設定の効果が大きいほど、それを誰が握るのかという問題は重くなる。利用者の利益に沿った既定値もあれば、提供側の都合に寄せた既定値もある。解約しにくい自動更新や、同意があらかじめ選ばれたチェックボックスは、現状維持バイアスを逆手に取った設計だ。後押しと誘導の境界は、設定する側の動機にかかっている。
ここに、決定を観察する上での難所がある。表面上は本人が「選んだ」結果でも、その選択は既定値という見えない枠の内側で行われている。自由意思と環境設計は対立するものではなく、たいてい重なり合っている。
「決めない」を観察するとは、本人の意志の弱さを責めることではない。放置という反応が、どんな初期設定への返答なのかを読み解くことだ。先送りされた決定の多くは、本人が怠けているのではなく、変えるための理由とエネルギーを、設計の側が用意していないだけである。既定値を疑う視点を持って初めて、私たちは「決めなかった」のではなく「現状を選ばされていた」可能性に気づく。
選択肢の数が決定を止める仕組みは「選択肢が多いほど選べない」で、画面上で同意を引き出す設計は「『同意する』を押す指」でも扱っている。
参照した資料
- William Samuelson & Richard Zeckhauser, “Status Quo Bias in Decision Making”, Journal of Risk and Uncertainty(1988)
- Eric J. Johnson & Daniel Goldstein, “Do Defaults Save Lives?”, Science(2003)
- Richard H. Thaler & Cass R. Sunstein『Nudge: Improving Decisions About Health, Wealth, and Happiness』(2008)